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80年続いてきた革新

帝国通信工業

2025.1.28

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現在、「日本のものづくり」は少なからず苦境に立たされている――。 そう話すのは、帝国通信工業株式会社の代表取締役社長である羽生満寿夫氏だ。同社は、1944年(昭和19)8月1日に設立された。2024年で80周年を迎えた老舗企業である。羽生社長は、好きな言葉として「継続は力なり」という言葉を挙げている。長野県の工業高校を卒業し、同社の生産技術部門にいた頃、あきらめず継続して作業指導すると、必ず相手の力が高まっていくのを実感できたという。 「あきらめたら、その時点で終わり」――。 この言葉を胸に、ものづくりの道をたゆまず歩み続けてきた帝国通信工業が、これからどういった企業を目指すのか、羽生社長に伺った。

――会社設立80周年、おめでとうございます。
羽生満寿夫社長(以下、羽生) ありがとうございます。80年といえば、人間なら「傘寿」といわれる年齢に相当します。超高齢社会といわれる昨今の社会事情に照らし合わせても、「後期高齢者」もいいところですが――。ただ人間の年齢との最大の違いは、企業は世代交代を繰り返しつつ、いつまでも若くあり続けることができる、ということです。現に、日本全国には創業100年を超える老舗企業が約4万3000社もあるといいます。80年くらいでは、企業としてはまだまだ洟(はな)垂れ小僧の部類なのかもしれません。
 
――社長ご自身、どういった経歴をお持ちなのでしょうか?
羽生 私は1958(昭和33)年、長野県飯田市の農家の長男として生まれました。子どもの頃には当然のように、将来は実家を継いで農業をしているだろうというくらいに思っていました。それが――どこで曲がり角を間違えたものか――工業高校を卒業して電子部品メーカーに就職し、無我夢中で働いているうちに、ふと気が付けば、このような立場になっていました。 正直なところ、今でも何かの間違いではないか、自分がこんな偉そうな肩書を名乗っていいものだろうか、という思いが脳裏を去来することがたまにあります。いかに「地位が人をつくる」とはいっても、自分のような人間が、こんなに大きな会社のトップでいていいものだろうか? その思いは、おそらく、いつか社長の地位を退くその日まで続いていくのではないかと感じています。
 
――帝国通信工業は、どういったビジネスを展開されているのでしょうか?
羽生 いわゆるB to B企業であり、一般消費者の皆様には、なじみの薄い存在であると思います。しかし、当社が製造し、様々なメーカーに直接あるいは商社を介して納品している部品の数々は、皆様のお手元にある電化製品などの内部でひっそりと活躍していることと信じています。また、ふだん、ほとんど意識されることはなくても、皆様がその指で操作している電化製品のスイッチの中には、実は当社で作っているものがあるかもしれません。あんな物から、こんな物まで――当社の製品は、皆様にとって思いがけない身近な存在であるかもしれません。
 
――会社設立80周年、さらなる未来に向けて、読者の皆様へメッセージを伝えてください。
羽生 現在、「日本のものづくり」は少なからず苦境に立たされています。私が生まれた頃には、メイド・イン・ジャパンは「安かろう悪かろう」の代名詞とさえ呼ばれていました。それが、高度経済成長を経て様々な技術革新を成し遂げ、「安くて、高機能で、高品質」なメイド・イン・ジャパン製品は世界中のマーケットを席巻するようになりました。しかし――それから半世紀余りが過ぎた今、再びメイド・イン・ジャパンの価値は大きく揺らぎ始めています。 そんな時代を象徴するかのように、2024年7月には新札が発行され、最高額紙幣の肖像に選ばれたのは「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一翁でした。かつて渋沢翁がめざした、「ものづくり大国ニッポン」の夢を、再び私たちの手に取り戻さなければなりません。今こそ、日本のものづくりの復権に全力で取り組む時なのです。


帝国通信工業株式会社 NOBLE(ノーブル)ブランドで電子部品を展開。1944年の創業以来、「ものづくりに関する大切な工程は、できる限り自社で手掛けたい」という創業者の信念を受け継ぎ、要素技術に磨きをかけ、素材研究から設計、設備構築から量産工程までを一貫して自社で行える電子部品メーカーとして、家電製品をはじめ、自動車やヘルスケア機器などに電子部品を供給し続けている。また、業界の変化に対して、変化に呼応した研究開発を推し進めるとともに「改善」「改良」「改革」を永遠のテーマに生産革新を継続している。 【沿革】 1944年8月1日、東京芝浦電機(現東芝)・日本電気(NEC)・日本無線(JRC)を中心に、電機系メーカー5社の出資により設立(払込資本金・1500万円)。 1961年10月、東京証券取引所株式市場第2部に上場。 1970年10月、大阪証券取引所第2部に株式上場。 1971年2月、東京証券取引所・大阪証券取引所の各市場第1部へ上場指定替え。現在、東証プライム市場(6763)。
 

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